変化したのは自分自身の意識

症状の改善に限らず、呼吸や動きなどのさまざまな「からだの変化」を感じていただくことがあります。

そのようなとき、以前は「からだへのアプローチによって、からだが治癒に向かうように変化してくれたんです」とお伝えしていました。

けれどもここ何年か、自分自身もからだをとおして体感し続け、ご縁のある方々の様子から感じられてくることは、

「からだは常に変化し続けているということに、自分自身が気づけるようになった」ということです。

「からだ」が変化したというよりも、自分自身の意識が変化している、といった方がしっくりくるのです。

操体には「治すことまで関与するな」ということばがあります。

治すことまで関与していないのに、なぜ症状の改善がはかられるのか。

からだは常に空間の変化に調和するよう設計されています。

空間の変化に調和するうえで常にはたらき続けているのが「からだ」。

その「からだ」に対して、普段は全くといって意識することはありません。

痛みや辛さといった違和感を自覚したとき、そこでようやく「からだ」に意識が向くようになります。

その間も、からだは常に空間との調和をはかりながら、様々な感覚を届けてくれます。

しかし、往々にしてそのような感覚に気づくことはありません。

なぜなら、痛みや辛さといったようなはっきりとした感覚ではないからです。

味覚として味の濃いものは自覚しやすいけれども、水の美味しさは感じにくい。

けれども、生きていく上で水は欠かすことができません。

これは一つの例えですが、からだから送られてくる感覚にはこのような感覚もあるのです。

操体臨床では、治すことまで関与しませんが、「感覚」というよりよく生きていくために必要な情報をキャッチできるような状態へと導いていきます。

「感覚」は「からだからのメッセージ」です。

その「からだからのメッセージ」をまるごと受け取れるような「うつわ」になっていくこと。

症状が改善されたと感じたり、呼吸や動きが変わったと感じられるのは、普段気づけなかった「からだの変化」をキャッチできるようになったということ。

感じることが気づきへとつながり、意識できるようになる。

意識できるようになると、こちらから「からだの変化」を迎え入れられるようになる。

そのようなことを日々からだから教わっています。