「からだ」のサインはチャンスになる

「症状」って、本人にとっては不快だし、施術する側からしてみれば、やっつける対象にもなったりしますから、厄介者扱いされることが多い。

肩こりでも、腰痛でも、頭痛でも、手足の冷えでも、ないほうがいいに決まっている、そういうきもちは分かります。今抱えている症状を一瞬にして改善する方法があるのなら教えてほしい、あるいは、治してほしい、そういうきもちも分かります。

僕も鍼灸接骨院で働いていたころ、そういう技術を身につけたいとずっと思っていました。そうすれば、来ていただいた方も嬉しいし、僕も嬉しい。

けれども、「症状」って、ただの厄介者ではないんだよな、というふうに今は思っています。

というのも、「操体」と出会って、「からだ」に付随するいろいろなものの見方、捉え方が変わってきたからです。

僕は今、操体専門でやっていますけど、それは、「操体専門の施術をやっています」という意味だけではなくて、「からだを診るうえで必要な考え方や捉え方も操体からお借りしてやっています」という意味でもあります。

そこから見ると、「症状」は良し悪しの対象ではなくなってくる。肩こりにしろ、腰痛にしろ、頭痛にしろ、手足の冷えにしろ、「症状」だけがぽこっと勝手に生まれてくるわけじゃない。それが生まれるだけの土壌が「自分」の中にできあがってしまっているということ。

「症状」は普段の「自分」と地続きで、切り離すことができない。

ということは、「症状」だけを刈り取っても、「自分」の中の症状が生まれてしまう土壌がそのままなら、またいつでも生まれてくる可能性があるということです。その土壌というのは、普段の生活であったり、身心のバランスであったり、もっというと、「自分」と「からだ」との関係性に帰着すると思っています。

そもそも、僕たちの「からだ」は凄い。普段そんなに健康に気を使っているわけでもないのに、ある程度無理ができたり、融通が利くっていうのは、今置かれた環境の中でベストを尽くすという「からだの力」ありきなんです。これを生物的にはホメオスタシス(恒常性)なんていったりしますけど、いつの間にか腰痛がなくなっていた、頭痛が止んでいたなんていう現象もこの力のお陰です。

ただ、その力にだって限界はあるから、まかせっきりというわけにもいかない。そこで、からだは「症状」というサインを出して、僕たちに気づかせてくれるわけです。これ以上は限界だ、もう一度僕(からだ)との関係を立て直そうって。

「症状」はなるべく速やかに消したいものではあるけれど、それと同時に、「自分」と「からだ」との関係性を見直すチャンスでもある。

「自分」と「からだ」との関係は生きている間ずっと続きます。それなら、今抱えている症状を一瞬にして改善する方法を求めるよりも、その「症状」をきっかけに、上手に「からだ」と関係を築いていけるようになったらいいなというのが僕の考えです。

僕の施術の対象は、あなたが抱えた「症状」ではなく、「あなた」と「からだ」の関係性です。

「からだ」の声に耳を傾けて、そうですか、こういうことが必要だったんですね、存分に味わってくださいね、と「からだ」のメッセージを受け取ってから、「からだ」に働きかけていく。そして、「あなた」にも、「からだ」にはこういうことが必要だったみたいですよ、と一緒になって共有していただく。

もちろん、症状が改善してくれば嬉しいというきもちはありますけれど、自分の「からだ」と向き合うきっかけになってくれたら、それ以上に嬉しいです。

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