「からだ」と共に育てていく、という健康観

僕には、皆様の「からだ」と関わるなかで、こんなふうになってくれたらいいな、という目的地みたいなものがあります。

僕のところに来なくてもいいくらい、自分で自分の「からだ」といい関係を築けるようになっていってほしい、という想いでもあるんです。

それは、健康オタクになることや、禁欲的になることとは大分違う。

自分のやりたい生活を送りつつも、最低限の気遣いを「からだ」に向けられるようになる、ということなんです。

僕自身も師匠につきながら、どうすればそれが可能になるのか、今も勉強中です。

僕がお借りしている「操体」では、普段の生活の場で、症状の種がつくられると考えています。

普段の生活の場での、自分がやりたいこと(やらなければいけないこと)と、「からだ」がしてほしいことのバランス、これがその人の土壌をつくります。

このバランスが崩れると、その土壌に症状の種が蒔かれることになる。その種を放っておくと、つまり、バランスが崩れたままだと、いつの間にか発芽して、それでも放っておくと、どんどん成長していってしまう。こうなってしまうと、芽を摘むのにプロの力が必要になってくる。

ただ、プロにその芽を摘んでもらっても、自分と「からだ」のバランスが崩れたままなら、また、種が蒔かれて発芽してしまうこともある。

そこで、 芽を摘むことと並行して、自分がやりたいこと(やらなければいけないこと)と、「からだ」がしてほしいことのバランスをとることも必要になってくる。そのためには、「からだ」がしてほしいことに気づくこと。

僕は「操体」をお借りして、施術中にこれを同時にやっています。

ホントは同時ではなくて、「からだ」がしてほしいことに気づいて、「からだ」がしてほしいことを満たすから、結果的に、「からだ」の力で症状という芽が摘まれる、というプロセスがそこにはあるんですけど。

そのプロセスの中で、ご本人も「からだ」がしてほしいことに気づくことができたら、自分で土壌をつくっていくことも可能になってくる。

その「からだ」への姿勢は、健康オタクや禁欲的な態度のような、「からだ」への過干渉ではありません。「からだ」がしてほしいことに耳を傾け、自分のできる範囲で気遣っていく、さりげないマナーに基づいたものなんです。

自分の力で「つくる」というより、「からだ」と共に「育てる」、に近いかもしれませんね。

これも一つの考え方ですけど、この想いが伝わってくれたら嬉しいなあと思います。

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